地域に開かれた設計事務所

                                      鼓座総合計画事務所    高橋 直樹(建築家)

建物の一部に開かれた空間を持ちたい
 
この考えはずっと以前から(たぶん15年近く前から)頭の隅に貼りついているものでした。今回それを現実にする機会がやってきました。建物の老朽化などいくつかの出来事が重なって長年住んでいたこの地に、住まいと事務所を建替えることになりました。

■何のために開くか?
 
「開きたい」理由はいくつかあって、まずは片側2車線道路に面した見通しのよい角地というこの土地の特性を活かしたいという単純な理由。もともと開かれているこの土地の特性を、自分の住まいと設計事務所としてだけ閉鎖していてよいものだろうか?という漠然とした「もったいなさ感」がありました。
 ふたつ目は自分の職業が建築家であったこと。建築家という職業はあらかじめ作っておいて売る、いわゆる物販商品を持つことができません。それは大工や左官などの職人がどんなに優れた技能をもっていても仕事をさせてもらえる現場がなければその技を発揮できないのによく似ています。
 手にとって見てもらう商品がない以上「まず存在を知ってもらい、そして私の建築に対する考え方を知ってもらう」必要があるのです。


■開くのは何か?
 
手っ取り早いのは、これまでに作った作品を見てもらうことなのですが、ここで問題がひとつ。過去に作った作品は、あくまでもその時々の敷地条件や予算、施主の要望などを整理し、最善の方法で組み立てた解答に過ぎないということです。ですから、ある要望への解答としては満足であっても、それが本当に「知ってもらいたい自分の建築に対する考え方」であるかというとそうでない場合も多いのです。
 私が本当に知ってほしいのは、これから自分が創りだしたいモノ、創りだせるモノについてなのです。


■創りたいモノは何か?

 
一般的に建築家が創りだすのは「空間」だとよく言われます。実際そのとおりで建築設計そのものは、様々なエレメントを組み合わせていく、いわば編集作業に似ています。建築物とは、ある空間を存在させるための成果物なのかもしれません。
 実際私が創りだしたいと思っているのは限定された建築物のイメージやテイストではなく、その建築物の中に流れる“氣”のようなものではないかと思います。


■それはどんな“氣”か?

 
これは事務所名の由来にとても関係しています。
 鼓座総合計画事務所「鼓」は自分自身を奮い立たせ、人を励ますという意味。「座」はおなじ目的に人が集うの意味。つまり、だれもが自己の主体性を確立し、同時に他を認め合い、積極的に生き生きと元気でいられる空間やモノを創りだしたいという願いが込められています。前向きで夢や希望を描くことのできるデザイン、つまり「創造的で元気」なモノを創りだしてゆきたいのです。


■CoZAの間
 
こうした理念を具現化するために、さっそく事務所空間の一部に開かれた部分を計画し[CoZAの間]と名付けました。CoはCommunity(地域社会)・Cooperative(共生)・Collaboration(協働・合作)の頭文字、ZAは座(おなじ目的に人が集うの意)そして「間」は人の間・時の間・空の間。 ITの進歩により、顔を合わせずに何でもやり取りできる昨今だからこそ、同じ空間や時間の共有を通してお互いを知り、豊かな創造性を発揮できる場所が必要です。「CoZAの間」が触媒となって地域や人々に新たな「間」を創りだすことが出来たらと思っています。

■開かれた空間は元気の磁場

 
では実際に「創造的で元気」などという抽象的なモノをどうやって伝えたらよいでしょう?一番の近道は実際に事務所に来てもらって体感してもらうことです。どうせやるならビジュアルで楽しいほうがいいですね。磁石のように同じ質の“氣”を引き寄せ、「創造的で元気」が行き交う交差点のような空間。それが私のイメージする「開く」ということです。

■何をやるか?
 
具体的には創造活動をしている作家や職人たちにジャンルやテイストを問わずに自己表現の場として活用してもらい、それをだれでも自由に見てもらえるように開放することを考えています。時にはギャラリーとして、時には音楽サロンとして・・・ただ見せるだけ、聴かせるだけにとどまらず、表現そのものを通して、その奥にある“氣”を感じてもらえるようなイベントを企画してゆくつもりです。
 
自己表現(モノ・音・ことばetc)とはその人の社会観や人生観がカタチになったもの。その人の強い想いがたどり着いた先ともいえます。まじめにていねいに創りだされた表現は常に人を感動させる力を持っているし、自分とは違う他人の表現を見ることで、それぞれの価値観の違いや多様性を認め合うこともできると思っています。他を認めることで初めて認識できる「自分らしさ」というもの。
 実は私たちが建物の設計をする上で、「施主自身に自分らしさを意識してもらう」ということが、とても重要な要素になるのです。


■自分らしさをカタチに
 
前にも言いましたが、建築物(ハード)はその中に入る思想(ソフト)の成果物にすぎません。ですから家はそこに住む人の最高の自己表現だとも言えます。
 1人ひとり顔や考え方が違うのに、なぜこんなに似たような家が増えてゆくのか・・・少なくとも私が子供だった昭和40年代の家は、個性的とは言わないまでも一軒一軒にその家なりの創意工夫がありました。
 現在のように家ばかりか街さえも無個性化してしまうようになった原因のひとつに、「施主自身が自分らしい暮らしを自分の頭で考えなくなった」ことがあると思っています。


■家のカタログ販売
 
考えなくなったというよりは、考えなくてもよくなった、ということかもしれません。○○ハウスや××ホームなど宣伝力のある住宅メーカーの「家とはこういうもの」という呪縛。あふれかえる住宅関連雑誌。カタログからものを選ぶように自分の暮らしさえも与えられた情報の中から選択するだけの時代になってしまいました。

■オンリーワンのある暮らし
 
1人ひとり顔や考え方が違うように暮らし方も、皆同じではないはずです。洋服や持ち物が自分を表現するものであるように、暮らしを入れる家はそこに住む人を丸ごと表現してゆくものであってほしい。そして、私はその人にとって真に使いやすく快適な唯一無二の空間を創りだす“一人称のモノづくり”をする設計職人でありたいと思っています。
 高価であるとか希少価値であるとかそういう表面的なことではなく、“その人にとっての創意工夫”こそがオンリーワンのある暮らしであり、人の手によって創りだされた様々な表現を通して、自分らしさについて考えるきっかけを常に[CoZAの間]から発信してゆけたらと思っています。

■ちょっぴり高い敷居
 
「気軽に入れる」これは設計事務所に限らずどんな店舗においても大切なことだと思います。
 けれども、その気軽さは猥雑さや惰性と常に隣り合わせです。もちろん敷居が高すぎて人が入ってくれなくては話にならないのですが、それでもやはり「思想が昇華した結果である表現」を発信する[CoZAの間]へは少しばかりの緊張感を持って入ってきてほしい、とそんな贅沢なことを考え建築計画の随所に“ちょっぴり高い敷居”の工夫をしています。
 単調な日常から自分探しの旅へ勇気を出して一歩進んでほしい、おこがましくもそんな思いがあるのです。


■遠回りして入る
 
勇気を出して[CoZAの間]に入ってもらうには、ダイレクトに達するのではなく、入口までいくらか歩いてもらう必要があります。身体の向きを変えながら移動し、そのたびに見える仕上げが変化する楽しみも感じてもらえるように工夫しました。

赤い磨き壁
 
通りから眺められる[CoZAの間]は非日常の空間と時間。その導入部であるエントランスの壁(高さ2.25m×幅4.50m)は、計画の早い段階で、それ自体に力強さと存在感を持たせたいと考えていました。外壁の燻し瓦に似た黒色金属サイディングとの対比もあって色は直感的に赤と決めていました。
 赤くて力のある仕上げが何かないか、と悩んでいた時、ご縁をいただいていた日本壁志の会の徳永さんに左官材で赤い壁ができないか相談させていただきました。数日後、表面にワラがほどよく浮出た赤い土の磨き塗りサンプルを見せて頂き、これしかない!とすぐに決めました。それは今まで見たことのない深い輝きを発するものでした。光っているけど冷たくない。硬いけどやわらかい。“ウチナルヒカリ”直感的に浮かんだ言葉でした。
 当日、めったにない大壁塗りの作業を見ようと見学の若い衆が総勢20人ほどバラバラと集まって、いよいよ仕上げの磨き作業です。泥状だったものがやがて鈍い光を宿すまで、延々と鏝で磨きをかけます。始まったのが8時半ごろ、終わったのが夜9時半ごろですから、時間にして約13時間。出来上がったその壁からは職人さんの“氣”が発しているのを感じとることができます。
 “氣”の磁場となる[CoZAの間]への導入部としてはこれ以上のものはないでしょう。力強さと存在感、当初私が求めていた以上の出来栄えで、それはまるでひとつの芸術作品のような美しさです。


■赤い磨き壁が限定したもの
 
この磨き壁が計画に与える影響力は強く、接する他の仕上げにも常に熟孝、再考をせまってきました。
 当初、赤い磨き壁という仕上げが出てくるまでは、床は硬木のフローリング材、斜め壁と室内から続く軒天はヒノキの羽目板、又はボードにペイントを考えていました。しかし、いったん赤い磨き壁でやろうと決めたら、他の部分の仕上げとどうもバランスが取れないのです。力強さ、奥行感、重量感・・・やはりしっくりこないので、他の部分の仕上げを考え直すことにしました。
 斜め壁と天井を一体にとらえたいので内外部を違和感なく連続させられるものは?耐水性は?とあれこれ悩みました。
 いよいよ確定しなければならない段階で、いっそのこと床も天井も左官にしてしまおうと決断しました。左官の仕上げ自体、あまり使ったことがなく少々不安はありましたが、今回お世話になったあじま左官の斎藤さんと加藤さんにエイッ!ヤッ!ッと気合を込めておまかせしました。天井、軒天と斜め壁はつるっと漆喰で塗りこめ、床は全面モルタルで仕上げることにしました。最初のイメージに従って天井は白、床は黒、壁は赤の仕上げを左官でまとめることになりました。

 
さて、壁は決まったものの、次はガラスを押さえる押縁も、だんだん気になってきました。「アルミ材なんて許さないぞ!」という雰囲気です。ガラスをはめ込む寸前の変更で、知人の金属造形作家に鉄を叩いたものを作ってもらって納めました。ハンマートーン(鎚目)の残った鉄の存在感や表情がエントランス全体を引き締め、赤い磨き壁との調和をもたらしてくれたと思います。

■夜空仕上げの床
 
エントランスから奥のサービススペースまでの[CoZAの間]の床はモルタル仕上げ。
 一般的にモルタル塗りは、廉価なため勝手口の土間など気を使わないところによく使われる、どちらかというと脇役に回る仕上げです。しかし、私は個人的に収縮による細かいひび割れが入った味のあるモルタルの表情がとても好きなので、今回は一味加えて主役として使いたいと考えました。
 秋のある満月の夜に、寝転がって眺めた夜空。窓枠に切取られた空はまったくの平面として感じられ、黒字に明るいグレーなのか、グレー地に黒なのか判然としない、なんとも不思議な雲と空の関係でした。「これを床モルタルで表現しよう!」 一瞬のひらめきでした。
 明るいグレーはモルタルのセメント色で、黒い部分は灰炭(実際は竹炭を使用)を振りまいてできるはずだと確信していました。竹炭はモルタルに混ぜ込むのではなく、表面がしまってきた頃合を見はからって振りまき鏝で押さえます。「やったことない」と言いながら鼻の頭を黒くして仕上げてくれたあじま左官の斎藤さんも、その出来栄えには驚嘆の声をあげていました。
 炭の粒がきらきらとして、あの夜見た以上の“夜空仕上げ”が出来上がりました。


■ランドマークに
 
土地の個性を活かしたいという単純な動機から始まった“開かれた設計事務所”の計画は多くの方のご協力をいただいてついにここまできました。
 この建物の立体としての面白さが街並みにリズムを与え、赤い磨き壁が深みを増し、いつしかランドマークとなって、私たちが未来を描く「創造的で元気」な情報や営みをこの「場」から発信できたらと考えています。


  
2004.4 
(左官教室 576より許可をいただいて転載しています。) 

私たちが【CoZAの間】を作ろうと思った理由です。
以下の文章は建築専門誌 [左官教室 2004.6月号]に当事務所を特集していただいた内容を許可を得て転載しています。