海の中で見つけたモノは?! 
(陶芸)   
2006. 7. 2 〜 9

山崎 直子 (鎌倉市)
  
                  
■展示内容

山崎直子さんには 陶工房 倶夢巣多(クムスタ)を築窯して以来、ご自分のトレードマークにしてきた題材があります。  
 
『 さかなたち 』  
 以前、通算5年間滞在していらっしゃった南国の島、フィリピン。
自然豊かなその海の中を覗き込んだときの感動を、表現し、カタチにしてみたい・・・そんな気持ちがスタートだったといいます。
以来・・・姿・形・技法・手法を繰り返し、またそれらを変化させては登場させ続けている魚文様&亀文様のデザイン柄のシリーズ 【あんだーザ・Sea】【ア・Saanかな?!】【Hirameくん】などを今回 一堂に集めてご紹介しました。

■作家について  詳しくはこちらをご覧ください→陶工房 倶夢巣多 山崎 直子  (鎌倉市)
■作家から

自分のお城!思えば漠然と学生時代から、自分の工房や、小さな陶芸教室を持ちたい!そんな気持ちが有ったように思います。ただそれは、本当に漠然としたもので、よくみる『いつか・・・。』とそんな思いで描いていた大きな夢でした。
 
 卒業後、学校の教授に薦めて頂き、陶芸指導員の道へ進みました。学生時代は、ただ単に手を動かす事によって形になっていく様が楽しくて、毎日毎日ロクロを回していましたが、仕事に就いてからは、人に伝える事の難しさや、陶芸の奥深さがある事を痛感する日々でした。人前で何かを語る事など、全く不向きな事だと思っていた自分が、いつしか陶芸を通じて、生徒さんにご指導させて頂く事の喜びや充実感を持てる私になっていた事に気が付きました。
 やはりこの事も、高校生時代頃から漠然とした『いつかやりたい(なりたい)夢・・・。』の一つであった青年海外協力隊への参加。その思いが再び、そして強く蘇り、私は陶芸指導の顧問としてフィリピンの地を踏む事となりました。そこでの活動は、日本に居たら有り得ない多くの経験・体験を積ませて頂くチャンスに恵まれ、私の今を大きく支えてくれている人生の宝になっています。あまりにも多くの事が有り過ぎ、フィリピンも、そこで一緒に生活し苦楽も共に過ごしてきた現地の仲間達も、自分にとっては切っても切れない存在になっていました。
 任期が終了して帰国したら、また陶芸指導員として仕事をするものとばかり思っていたそれまでの自分でしたが、再び日本の地へ戻る頃には、その気持ちがとても大きく揺れ動いていました。陶芸に携わって生きたい自分と、フィリピンに帰りたい自分…。協力隊員であれば、きっと誰でも味わい・感じる事であろう【逆カルチャーショック】も受け、日本の希薄さにも寂しさを感じてしまっていたのです。
 その様子を知ったカナダに住む姉から、暫くこちらに来ては?と誘って貰い、カナダに渡りました。そこでも私は多くのチャンスに恵まれ、毎日そこで作陶が出来る事になるのです。ロクロを挽きながら日々考えました。自分の生き方・進む方向。答えは日々変わるのですが、やはり自分は、陶芸と離れる事が出来ないと強く感じる事が出来たのです。
 その矢先に腱鞘炎発症。あまりにも伸び伸びと楽しく、作陶に没頭し過ぎて、手首が全く動かせない状態になっていました。やっと陶芸の道に、もっと深く・長く進んでいこうと、強く思った処だったと言うのに。帰国して治療するも、何処の医者にも陶芸の様な力を使う仕事はまず無理だと言われ、絶望感に苛まれた時期もありました。
 ただ、どんな時も私は、いつも周りの方々に支えられ助けられ、時に後押しして頂いて次へと動く事が出来たのです。学校の進路を決める時、就職先を考えた時、どん底に落ちてしまったと思った時、工房(教室)を持つ時、椎間板損傷で、第2の大きな危機に襲われた時、こうして日々作陶を続けていく上でも・、常々 多くの方からパワーを頂き力になって頂き、今日に至っています。 
 紆余曲折ありながらも 今こうして、小さな小さな自分のお城である工房を持てている事に、本当に言葉にはならない感謝の思いがあります。そして、大好きな陶芸を続けてきて良かった!

 作風は、こうして自分の
生きてきた多くの事などからの思いが、色々なスタイルで表現され形となり、焼き上がっている様にも感じます。